2015年12月31日木曜日

2015年大晦日

ミャンマーには西暦の新年を祝う習慣がないので、大晦日の夜も特に何もなければ、元旦も普通の平日です。
ヤンゴンなどの都市部の若者は外国を真似てカウントダウンパーティーをしたりするようですが、私が今いるザガインという街では、特に何もないようです。

ミャンマー暦では西暦の4月に新年を迎えることになるので、そちらで水かけ祭りという新年のお祝いがあり、10日程度の休みになるようです。

というわけで、大晦日ですが普段の平日と何も変わらない1日でした。明日の元旦も何事もなかったかのように過ぎていくでしょう。

個人的に、2015年は人生最大級の激変の1年でした。
2月に結婚して、4月に大学時代から10年弱続けてきた研究テーマが無くなり、5月にミャンマー行きが決まり、8月から渡航、そして今ミャンマーの山の中でポンジーをしています。




改めて、今年は今までの人生の延長にないところに来てしまったなと感慨深いものがあります。
会うはずのなかった人とたくさん出会いました。2016年も同じように素敵な出会いがあることを祈ります。


2015年12月30日水曜日

バンコクでお登りさん

ミャンマー農村部からうって変わって大都会バンコクに行ってきました。

空港に着いた瞬間から、一つ国境を超えただけでここまで世界が違うものかと驚いてばかりで、完全にお登りさん状態です。



会社の同じ部署で席を並べてきたタイ人の元同期にバンコクの最新オシャレスポットのEM district というところに連れて行ってもらいました。彼は技術系の仕事から弁護士事務所に転職して、弁護士になるために大学に通いながら働いています。お互い別の世界へのチャレンジを頑張っていこうと励まし合って解散。




ヤンゴンにも大型のショッピングモールはありますが、どこか洗練されてない印象を受けます。

 ↑ヤンゴンのジャンクションスクエア



道路の舗装がちゃんとできてるので、車に乗っていてもガタガタしない。
タクシーはメーター制なので面倒な交渉がいらない。
電車の駅が町の中心にある。
町を歩いても道に穴が開いてないから下向いて歩く必要がない。
ゴミが少ないから町がきれい。
ご飯が美味しい。油っぽくない。
ネットが速い。

若い女の子も男の子も垢抜けていて、みんなオシャレ。

ミャンマー語が通じるはずもないのに、口から出てしまうカウンデー。見るもの全てがカウンデーでした!


和歌山はおろか、大阪よりも発展してるんではないかと思うこのバンコクのようにヤンゴンもなっていくんでしょうか。10年後?20年後?それ以上かかるかもしれませんが、そう考えたらワクワクします。




バンコクからミャンマー第二の都市マンダレーに帰ってきました。



ミャンマーの中では突出した大都会のはずなのに田舎くさい。
ロンジー姿のおっちゃん、タナカを塗った女の子、この田舎くささが妙に落ち着く。

バンコクのように発展して欲しいと思う一方、田舎くさい垢抜けてないところを残して欲しいとも思ってしまいます。




帰ってきてから知ったのですが、ちょうどミャンマー国内ではタイへの抗議運動が熱くなっている最中でした。

1年前にタイのリゾート地で起きた殺人事件の犯人としてミャンマー人労働者2人が逮捕され、死刑判決が下ったようです。証拠が不十分にも関わらず拷問のような取り調べをして自供させたようで、立場の弱いミャンマー人労働者に罪を着せた冤罪だと、ヤンゴンのタイ大使館前などに多くのミャンマー人が集まっていたり、国境の一部も閉鎖されていたようです。

     出典 : The Irrawaddy


ミャンマー人の多くはタイが嫌いで、タイ製の商品を買いたがらない人が多いです。タイをライバル視しているようで、50年前はミャンマーが東南アジアで一番発展していた国だということにプライドを持っています。

一方タイ人はミャンマー人を特に意識することもない生活をしています。
タイに出稼ぎに来ているミャンマー人は推定400万人超と言われているようですが、そのほとんどが3K(きつい、汚い、危険)な仕事を安い給料で働かされています。

日本と韓国の慰安婦問題が最終合意したことがこちらの新聞でも報道されていましたが、隣国との問題はどこの国もが抱える大きな課題です。

2015年12月21日月曜日

MFCG様訪問3

村の診療にお供させてもらっていると、今まで日本で学んできた"当たり前"がいかにハイレベルなものだったのか実感せずにはいられません。

手が汚れたら手を洗う。
米だけ食べていると栄養が偏って体を壊す。
子供をたくさん作ると家計が苦しくなる。


普通に考えて当たり前でしょ。と思うことが当たり前ではない場所があるんだなと実感しています。
教育を受けていないから知りませんし、親が知らないから子供にも伝わる訳もありません。

さて、今回はHealth Education(HE)にお供させてもらいました。



HEとは何かというと、衛生、栄養学、病気の予防、子作りの計画といった内容で
日本では小学校や中学校で習う家庭科や保健の授業のようなものです。





日本人なら誰しも一度は学んだことがある米は炭水化物、肉はたんぱく質、野菜はビタミンといった栄養素があることを村の人たちは知りません。
お腹が膨れればそれでOKと思っているため食事は米とンガピー(魚を発酵させたペースト状の国民的調味料)のみという人も少なくありません。

飲料水も清潔とは言えない溜池の水や井戸の水を使います。
人間も動物も同じ水を飲みます。基本的には一度沸かしてから飲むようですが、そのまま飲むこともそれなりにあるようです。

村の溜池
池から水を汲んで持って帰るお婆さん
 

栄養不足や水の問題が原因で下痢を起こして、脱水症状で亡くなる場合があるようです。
下痢で人が死ぬなんて日本では信じられませんが、ミャンマーでは実際に起きてしまっています。
栄養状態が悪いため、5歳までに死んでしまう子供が日本の18倍もいるようです。
子供が死ぬことがある意味でここでの”当たり前”になってしまっているのか、子供をたくさん作る人が多くいます。
兄弟が4人5人いるのは当たり前で、8人兄弟の村人にも合いました。
子供が増えれば増えるほど、家計が苦しくなるのはごく当たり前のように考えてしまいますが、村人はそんなことは考えません。
その結果子供一人あたりに回る栄養分が減ってしまい亡くなってしまうし、満足な教育も受けさせられない悪循環も起こっています。
計画的な子作りのために妊娠のメカニズムの教育や、妊娠防止の薬も投与します。


子供が亡くなる原因は栄養不足だけでなく、病気の場合も多くあります。
特に多いのがマラリア、デング熱です。
感染源の蚊の発生を抑制するために家周辺の水のある場所を減らすことや、蓋をすること、蚊帳を使って寝ることを教えます。



ただやっぱり、生活習慣を変えるっていうのは難しいですよね。
自分も体に悪いのは分かっていても止められないこと、ついついやってしまうことがたくさんあります。

一度教えたからと言ってすぐに理解してもらえない。
理解してもらえてもなかなか習慣を変えられないのが人間なので、
実践してもらうためには何度も繰り返し説いて行くしかない、、、


自分には到底できない仕事です!

2015年12月13日日曜日

MFCG様訪問2

MFCJさんの日常的な活動は
週2回が村へのモバイルクリニック
週1回が村への村人との会議、衛生教育
その他がミャウンミャでオフィスワークとなります。

巡回する村は12カ所あり、一つの村に少なくとも2ヶ月に1回程度は回る形になっています。



この日はモバイルクリニックに同行させてもらいました。村には、ミャウンミャの中心から車で2時間くらい走り、そこからさらに田んぼ道を30分程度歩いてやっと到着します。



診断の器具や、薬がたくさんありますが、手前の村の若い女の子達にポーターをお願いしました。彼女たちに重い荷物を持たすのは、心が痛みますが、これも立派な仕事の1つです。荷物を歩いて運んでもらって約100円の収入を得て帰っていきました。1日の収入が200円程度しかない村の人々には100円は小さなお金ではありません。



村に着くとはじめに村長さんに挨拶に行きます。医療面で特に問題なかったことを聞いたり、村の状況を教えてもらいました。今はちょうど米の収穫の時期のため、日中は人があまりいないようです。エヤワディ管区はミャンマーの米生産量の70%を占めるほど稲作で有名な場所です。村にある家の数は100件程度で、人口は忘れたけどだいたい300人くらいかなーと言って笑っていました。

続いて、診療所の設置です。
診療所をどこに設置するかは村によって違いますが、村長さんの家か、学校か、パゴダになります。
診療所のセットを始めていくと、どこからか村人がたくさん集まり協力してくれます。2ヶ月ぶりにやってきたMFCGを待ちわびてたようです。



診療は、受付、血圧測定、問診、薬の処方という流れです。
この日は季節の変わり目のため風邪の人が多くいました。
他には、高血圧や初期の糖尿病も多いようです。ミャンマーの食事は油を大量に使うことや、コーヒーや紅茶などの飲み物に砂糖が大量に入っていることが原因の一つのようです。しかし、自覚症状はなく、そもそもそういった病気の存在自体を知りません。
また、ビタミンB1不足で脚気の兆候が見られる場合も多いようで、タミンィエという米のとぎ汁を沸かしたものの教育とビタミン剤の処方を多くの人にしていました。
 

 
診療は10時から15時程度まで行います。
午前中は患者さんも多くて忙しかったものの昼からは暇な時間も多かったので、一軒一軒家を回ってモバイルクリニックが来ていることを紹介して回ります。外国人が珍しいためか、家にあがってお茶を出してくれたりフレンドリーな人ばかりです。






結局昼以降は忙しい時間もなく、ゆったりとした時間が過ぎて行きました。
もっとプロモーションに力を入れるべきでは?と聞いてみましたが、ミャンマー人ドクターは、周期的に村にクリニックが来ていることが大事で、何か病気を抱えた患者はやってくる、私たちは待つことが大事。患者が来ないのはむしろいいこと。と考えているようです。

 



広大な田んぼが広がり、水牛が水浴びしていてのどか過ぎるほどのどかな村で、時間はゆったり過ぎていきます。

2015年12月4日金曜日

MFCG様訪問1

昨日から"ミャンマーファミリークリニックと菜園の会(MFCG)"さんのもとへボランティアに来ています。


MFCGさんはエヤワディ管区のミャウンミャを拠点として無医村にモバイルクリニックとして周回をしているNPOです。

名知先生という女医の先生が代表を務めており、ミャンマー人の先生もう1人とナースエード1人、ドライバー1人の四人体制で巡回されています。

モバイルクリニックだけでなく、栄養学と自家菜園の教育もされています。
村では病気にかかる人のほとんどが栄養不足から来るもので、病気を治しても栄養が足りていないので再発します。

栄養不足はもちろん収入不足という根本的な原因がありますが、先生たちは調理の仕方(お米の炊き方など)や捨ててしまっていた栄養のある部分の再利用(米のとぎ汁など)、そして家庭菜園の教育を通して栄養不足という課題に対峙されています。

名知先生はを10年ほど日本の大学病院に勤め、その後"国境なき医師団"のメンバーとしてアジアを中心に回られて、2008年に現団体を立ち上げて現在まで活躍されています。
1人で始められて、テレビでも放送されるほどミャンマーの地方の医療に貢献されているとてもエネルギッシュな先生です。


私はミャンマーに来る直前に先生の特集をしていたテレビ『世界ナゼそこに?日本人』を日本で見て、かっこいい人がいるな、いつか会いに行ってみたいなと思っていたところ、ヤンゴンのとある会合でお会いできまして、今回の訪問を受け入れていただきました。

医療の経験はもちろんありませんが、見学にきたお客様で終わらせず、何かしらの形で貢献して帰ってきたいと思います。



             

2015年11月27日金曜日

コンヤと2度目の歯医者

先月行って治してもらった前歯がまた割れてしまいました。一年はもつと聞いていたのに、一ヶ月そこらで再発するとは、、、。
この国の技術も材料もまだまだなのかな、と思いつつ再度ハン先生のもとへ。

今度はダウンタウンのハマシマ歯科に行ってきました。

8マイルの歯科よりさらに時代を遡ったような門構えですが、中はキレイです。






先生が言うには、前回直してもらったところと別の部分が割れたようでした。前回は差歯自体が割れたのに対して、今回は差歯を支えるために少し残ってた元の歯が割れたみたいで、次割れたらもうどうしようもないようです。
ちょっとだけ疑ってすみませんでした!帰るまで二度と前歯使いません。



ちなみに前も思ったんですが、お客さん少ないんです。

ミャンマー人の友人に歯科に行ったことがあるか聞いてみましたが、
一回も歯が痛くなったことないからないよ、周りにもほとんど行ったことある人はいない。行ったことある人は10%くらいじゃないのかな?と言ってました。
ミャンマーで歯科はあまり儲からないらしいです。

ミャンマー人にはこんなに歯が汚い人がまあまあいますが、虫歯にはほとんど誰もならないようです。



歯が赤黒くなってる理由は、コンヤと呼ばれる噛みタバコを噛んでるからです。
コンヤはコショウ科の葉っぱに石灰や、ピンロウの実、スパイスや、ココナッツ等を包んだものです。噛んでると頭が冴えたり、清涼感があるらしい。このお店では7個で200チャット(20円)で売ってました。




タクシードライバーやブルーワーカーの人はかなり高い割合でコンヤを噛んでいて、血のような赤黒い液体を口から吐き出すので最初見た時は驚きます。


見た目がグロテクスなうえに、口腔ガンになる率が高くなるらしく、最近は噛む若者が減ってきてるようです。

ミャンマーにいるからには一回くらいは試してみたいと思いつつも、ビビってまだ手が出せてません!

2015年11月20日金曜日

ミャンマー初歯医者

もう一月ほど前になりますが雨季も明けてきたということでBBQに呼んでもらい行ってきました。



市場に行くとどこでも新鮮な捌きたての鳥肉や豚肉を調達できます。


野菜もおいしくて、特にとうもろこしが味が濃くてオススメです。日本と同じ黄色いものと、白いものの2種類あります。

が、そのとうもろこしをかじった時にやらかしてしまいました。
ガリっという嫌な音と妙なスカスカ感。。。

前歯の差し歯が割れてしまいました
_| ̄|○

ミャンマーの医療はろくでもないと聞いていたのでなんとかお世話になりたくないと思っていたのですが、前歯なしで生活するのはさすがに耐えられないので歯医者さんに行ってきました。

日本人御用達の歯医者があると聞いて行ってきたのは、ハン先生という東京医科歯科大を卒業された先生がやってる歯医者です。

先生は8マイルのホテルヤンゴンの一階にあるクリニックと、ダウンタウンの52thにあるハマシマ歯科の二軒で患者をみており、時間によってどちらにいるか分からないのですが、だいたい昼過ぎまで8マイル、夕方からダウンタウンにいるようです。

この時はホテルヤンゴンの方に行きました。
写真がないんですが、なかなかキレイで日本の20年くらい前の歯医者さんのような印象。

30分くらい前の患者が終わるのを待って、自分の番です。日本語がどの程度話せるのか分からなかったので、説明できるようにミャンマー語を予習していったのですが、全く必要ないくらい日本語ペラペラの先生でした。

診療の設備自体は古いものの、日本と同じく、リクライニングの椅子があって隣にうがい用の給水排水機があって、ドリルやバキュームや一通りのもの全て揃っています。

ミャンマーにはいい材料もないし、形のいい歯を作れる技師もいないので、割れた歯を接着するのがとりあえず最適だということで、掃除→接着作業が始まります。

残った歯の掃除をする際に、ドリルを使うわけですが、冷却用の水が四方八方に飛び散り顔中びしょ濡れになるので、ティッシュを顔中に敷き詰められます。
また、バキュームが弱いのか口の中に水が溜まる溜まる!溺れかけました。

接着樹脂は日本でも使ってるもので、どんなに少なく見積もっても一年は大丈夫とのことです。UVライトもどんなんが出てくるのか期待してましたが、いたって普通のハンディでした。

なぜか歯医者でびしょ濡れになって、溺れかけましたが、一時間近くも試行錯誤してくださって前歯復活!!

さすがに前歯の歯抜けは格好悪過ぎるので助かりました!

値段をブログに書かれると困るらしいので、書きませんが適正な値段かと思います。

この国でできる範囲と、日本でできることの差を熟知されてるので、帰って治療するまでの最善の繋ぎを考えてくれるいい先生です。

2015年11月16日月曜日

熱血教師

選挙の結果がいつの間にか公表されてたようで、国民の期待通りアウンサンスーチーさん率いるNLDが過半数を確保し政権交代するようです。

もっと町中でお祭り騒ぎになるかと思っていましたが、スーチーさんから騒ぐなとの指令が出ているようで驚くほどふつーーうの日々が過ぎて行っています。

そんな選挙後の週末に僧院でやってる寺子屋日本語教室に行ってきました。


ボランティアで無料で授業を、している先生が日本語の文章を読んで、生徒が大声で復唱したり、文法を説明したりしています。
生徒は30人から40人くらいで、小学生くらいの子供から30歳くらいの大人まで一緒になって勉強してます。

この日のテーマは"しゃっくり"で
"胸とお腹の間に横隔膜という筋肉の膜があり、呼吸をするたびに上下に動きます。"
といった文章をひたすら復唱していました。
日本に行ってもこの例文絶対使わねーよ!と思いながらも、自分もミャンマー語で横隔膜やらしゃっくりについて勉強します。

いつもは日本人のボランティアが5、6人いて、授業の終わり30分はミャンマー人生徒5、6人相手に日本人1人が付き、ミャンマーの文化や日本の文化などのおしゃべりをしながらネイティブ日本語の発音を教えてあげたり、ミャンマー語を教えてもらったりします。

この日は私ともう一名しか日本人がおらず、いつものおしゃべりができなかったので、先生が即興で簡単なゲームを始めました。

2つのグループに分かれてグループ内で息を合わせて拍手し合うだけの簡単なゲームです。

Aグループ: パン            パンパン
Bグループ:           パン                 パンパン

みたいな感じ。
先生は何の合図も無く拍手を合わせなさいと言いますが、できる訳もなくグループ内でもバラバラです。

でも、全員で向かいあって呼吸を合わすように、みんなの顔を見るようにアドバイスされると、不思議と次第にできるようになってきます。彼らの空気を読む力に感激しました。

次のゲームは2つのグループのメンバーで一番大きな輪を作ってください。というもので、何のひねりもなく皆で手を繋いで教室の半分くらいに広がっていきます。次に2つのグループ一緒に輪を作るように支持して先ほどより大きな輪ができます。


生徒に輪を作らせたまま先生が語り始めました。

『選挙が終わってこれからがミャンマーの一番大事な時期です。
この教室には、仲が悪い者、男の子女の子、歳が離れた人、そしてビルマ人、シャン人、ラカイン人、モン人、カレン人、チン人、カチン人、、、と色んな人達が混じってます。
それでもお互い呼吸合わせて、手を取り合って大きな輪を作っていかないとこの国の発展はありえません。
隣の人の事を想う気持ちが、隣の隣の人を想うことに繋がり一周回って自分に返ってくる。

恥ずかしいけども、ミャンマーはとても汚いです。みんなゴミをそこら中に捨てます。誰も周りの人の事を考えていません。

私達が語学を勉強している日本はとてもキレイな国です。日本人は絶対にゴミを捨てません。それは、日本人は周りの人を思いやる心を持っているからです。
私達はそういった日本の素晴らしい文化を学ばないといけません。

最初の一歩として、このクラスの人は絶対にゴミをポイ捨てしないことを約束しましょう。』

ということを日本語とミャンマー語で繰り返し説いていました。
リップサービスもあるだろうし、生徒への教育のために日本の良さを誇張している部分もちろんあるでしょうが、こうやって親日の人ができていくんだという場面を目の当たりにしました。そして、こんな教育を受けて日本に憧れた東南アジアの若者が日本に来た時に恥ずかしくない行動を取れているのか。彼らを失望させるような国になってしまっていないだろうか。と不安にも思いました。

私はミャンマー人先生がミャンマー人の若者相手に英語を教える学校にも通っていますが、そこでアメリカ人やイギリス人がこんなに素晴らしいんだという話を聞いたことは一度もありません。

ミャンマーを含めて東南アジアには親日国と呼ばれる国がありますが、親日になるには誰かがそんな教育をしてくれているからだという当たり前のことを忘れていました。

先生が熱く語り、生徒がキラキラした目でその話を聞く。そんなキラキラした目でこっちをチラチラ見てきます。
自分みたいなものは、そんな眩しいほど輝いた目で見られるような大した存在じゃないんだと、逃げの説明をしたくなるけれど、しっかり受け止めて彼らの期待を潰してしまわないようにしないといけないなー、とか思ったりした今日この頃でした。

2015年11月9日月曜日

総選挙

昨日(2015年11月8日)はミャンマーの総選挙でした。

普段なら選挙カーが爆音で党の応援曲を流しているところですが、、






この日は驚くほど静かな一日でした。
車も人通りも見たことないくらい少なくお店もほとんど閉まっていて、閑散とした街並。

いつもこれくらい道が空いてたらいいんだけど、、、。




昼過ぎにちょっと出かけた際に見掛けた投票所。学校や寺院が投票所になってます。





↓が有権者の名前が書かれたリストの写真です。
ここにあるはずの名前がない、同じ人が複数あるといった問題が起きていたようです。



全然人がいないのは、ほとんどの人は早朝の6時頃から並んで早いうちに投票を済ませたようです。

報道されているとおりですが、
1990年に行われた総選挙でアウンサンスーチーさんが率いる国民民主連盟(NLD)が8割近い議席を獲得したものの、軍がこの選挙自体を無効化し、その結果世界から孤立していった過去があります。

自分たちが本当に投票できるのか政府に懐疑的な人が多く、心配なところもあって早朝から並んでいたようです。昼12時の時点ではちらほらやってくる程度でした。



私のミャンマー人の友人は皆NLDを支持していましたが、5人/20人くらいの人が投票に行かないと言ってました。地方からヤンゴンに来ている学生や、若手社会人になりますが、日本で言う住民票を移してないので、彼らは投票するために地元まで帰らなければならないようです。新聞やらニュースで報道されているほど国民全員100%関心がある訳でもないのかなーと感じています。
もちろん、投票するために地元に帰る人もいます。



うちにテレビが無く正しい情報が分かりませんが、ここヤンゴンのダウンタウンは何事もなく静かに選挙日を終えたように思います。

投票日翌日の昼過ぎに結果が公表されるようです。公正な選挙が行われて、暴動や混乱が起きず穏便な着地となることを願っています。

2015年11月2日月曜日

ラカイン州の織物

ラカイン州の シットウェイ、ミャンウー、近くの村に行ってきました。
写真をアップできるようなネット環境ではなかったので更新が遅くなってしまいました。

ラカイン州はヤンゴンから600km程北西にあり、バングラディシュとの国境にある州です。主にラカイン族が住んでいますが、チン族等の少数民族や昨今話題のロヒンギャもここに暮らしています。
バングラとの国境近くということもありヤンゴンより色黒で濃い顔の人がたくさんいます。街並みもほのかにインドっぽい香りがします。


今回は雑貨屋さんの経営者さんの買い付けにご一緒させてもらいました。
少数民族の伝統的な模様を勉強や、小さな村で代々受け継がれている機織りの現場の見学に行ってきました。

ラカイン州観光で有名なミャンウーから更に奥地に車で2,3時間進んだ村に機織りで有名な村があるらしくそこに行ってきました。
道中は8月の大洪水で被害あった場所のようで、田んぼの中に流れてきた大きな流木が点在していたり、道が崩壊していたり、崩壊している家もちらほら見えて、水はすっかり引いていますが、まだまだ復興の最中です。ですが、流れてきた流木を薪として使ったり、新しくできた溜池で魚を捕獲したりと逞しいかぎりです。




機織りの職人さんはかつてはたくさんいた機織りの職人も都市部や海外の工場で製造される工業化の波にのまれて、現在は各村に2つ、3つといった少数の家族だけしか機織りをやっていないようでした。
職人さんは目が命らしく、歳をとって目が悪くなると引退せざるを得ないようですが、無電化村のため暗い屋内で作業しなければならない環境にあります。

もちろんソーラーパネルを設置しているところはたくさんありますが、夜間の照明やTVのために昼間まではエネルギーを回せないようです。村によっては半数近い家庭がソーラーパネルを持っているようでした。子供が夜間も勉強するために明かりが必要となり、ソーラーパネルを買う人が多いらしいです。




また、時代の流れとともに売れるデザインも変わってきているようで、伝統的な 模様を作ることがどんどん減ってきています。ご一緒させていただいた経営者さんはこういったミャンマーの伝統が廃れていってしまうことを懸念して、これらの伝統を残すために村を回り入手した布を使って一手間加えた商品を作って村の発展に一役買ってる素敵な方です。


伝統的な柄(木の実や、果物の花、波、王冠などを表しているようです)



今回の旅にはビルマ語の通訳もされている写真家の方も一緒に来られていました。
会話ができないと本当に自然な表情は見れないと考え、ビルマ語を習得したようです。
ビルマ語とラカイン語は微妙に発音が違うので多少苦労されていましたが、やはり現地言語を喋れると村人たちとの心の距離が一瞬で縮まり、喜んで次から次へと説明してくれたり、とびきりの笑顔を見せてくれたりする姿を何度も見せてもらいました。

ミャンマーのビジネスは英語が中心で、絶対にビルマ語の習得が必要かと問われると「?」が付いてしまうのですが、、、
この国の人々の真の困り事を知りたい、解決したいのであれば心を開いてもらう必要があり、
この国(都市部)ではある程度英語が通じてしまうので、だからこそその中でビルマ語が流暢に話せるとかなり強力な武器になるなと実感しました。

よし、がんばろ。


2015年10月22日木曜日

養育施設訪問

ジャパンハートさんが運営しているDream Trainという養育施設にお邪魔させてもらってきました。
ミャンマーにはまだまだ多数の貧困で苦しむ人がおり、その貧しさゆえに人身売買に巻き込まれる危険性のある子供や、教育を受けられずに幼くして働かざるを得ない子供、親を亡くした子供たちがたくさんいます。
Dream Trainはそんな子供たちを受け入れて養育し、自立を支援する養育施設で、8歳から18歳まで200人以上の子供が生活しています。



夕方前に行きましたが、ちょうど遊戯の時間だったので構内の至るところで子供たちが遊んでいます。みんなすれ違うと元気に挨拶してくれます。

 男の子はほとんどみんなサッカーをしていました。
ミャンマーでもサッカーは大人気で飲食店に入るとだいたい欧州サッカーのテレビが流れています。
グランドはボコボコで、水たまりもあるし、空気の抜け切ったボールでドリブルしている子供がいたり環境はよくありませんが、みんなめちゃくちゃ楽しんでます。


コマで遊んでいる少年たちや
ゴム跳びで大ジャンプ!





遊んでいる子達もたくさんいる一方で、遊び時間でも勉強に励んでいる子供たちもたくさんいます。
子供たちの多くはここに来るまで、まともな教育を受けていないので、追いつくために必死に頑張ります。
さらに、国境付近等の地方出身の子供はビルマ語が話せないので言葉の勉強から始まるようです。


女の子たちは自主勉強に励んでいます。
まだ日暮れ前でしたが、停電中でしたので薄暗い部屋で勉強しています。
みんなの手元には某社のソーラーランタンがあり、
停電中や夜間でも勉強できることを喜んでいました。








こちらは食堂。ここにもソーラーランタンが設置されています。
停電時の照明としてだけでなく、
蛍光灯の明かりだけでは照度が不十分なので補助灯として普段から使っているようです。








今まで”光”の付加価値を考えることがたくさんありました。
綺麗に見える光、おいしく見える光、、、、、などなどなどなど
ですが、ここにあるのは、ここで求められているのは生活に必要な最低限の”光”です。


日本にいると価値の足し算で出来上がったモノで溢れていますが、
こういった新興国、中でも低〜中所得者に向けたモノづくりは最低限の価値を残す引き算の思想が大事だな、と改めて実感。



孤児院に来たのが初めてだったので、来る前はどんな雰囲気なのか全く分かりませんでしたが、
来てみたら子供たちがみんなとても明るくて元気で、かわいくて、勉強や遊びに一生懸命で、
笑顔をたくさんもらって元気になって帰ってきました。ありがとう!

2015年10月13日火曜日

ヤンゴンのトイレ

ヤンゴンのトイレについて書きます。

ミャンマー語でトイレは『エィンター』と言います。
初めましての挨拶は『トゥイヤーダワンターバーデー』と言います。

ありがちな発音ミスで『トゥイヤーダ"エィンター"バーデー』と言う人がいるみたいですが『あなたにお会いできて、トイレです。』という意味になってしまいます!


さて、ヤンゴンでトイレに入った際にかなり高い頻度で目撃するのが
American Standard社とCOTTO社のトイレです。

個人的な印象では2社だけで大半のシェアがあるんではないかと思うほど頻繁に目撃します。







American Standardといえば2013年にLIXILさんが買収したアメリカの水回り製品の企業ですが、
北米だけでなく東南アジアでも高いシェアを持ってるんですね。

先日、ジャンクションスクエアというヤンゴンのNo.1ショッピングモールの横に今年オープンしたお洒落スポット「シークレットガーデン」に行ってきましたが、ここのトイレはINAX(LIXIL)製でした!
初めて日本製の便器を見ました。
販売チャネルの地盤ができてるだけにこれからますます増えてきそうです。









もう一つのCOTTO社という会社は知りませんでしたが、調べてみたら
どうもタイのサイアム・セメント・グループとTOTOの合弁企業なんですね。

こんなアジアの片隅でもTOTO vs INAX が盛り上がっているとは、、、。
日本の他のメーカーも負けてられません。



一方で、まだまだ水洗タンクが付いてないトイレや、日本の和式の様なトイレもたくさんあります。
このタイプだとバケツから水を汲んで流さないといけないので、大変めんどくさいです。
また意外なことに日本だと水がたまってるほうに向かってしゃがみますが、
こちらは反対向きでしゃがむのが基本のようです。理由は知りません。



東南アジアの国はどこもそうかと思いますが、
基本的にトイレに紙はありません。
ミャンマーもローカル向けのお店には当然トイレットペーパーがありません。




そのかわり便器の横にホースのようなものや、蛇口&桶があり、これらを使って用を足した後は洗浄します。


日本の紙文化で育った身としては、最初はやはり少なからず抵抗はありましたが、紙が無いものは無いんで、、
郷に入っては郷に従え!精神でトライしてます。

、、、さっぱりして意外と嫌いではない!