2016年3月3日木曜日

ヤンゴンのスラム地区

インターン先の調査でヤンゴンのスラムに行ってきました。
ミャンマーは他の東南アジアの国と比べて、明確にスラム街は少なく、全体的にまだまだ発展していないので明確な線引きも曖昧なように思います。
また治安の面でも安全とは言えませんが、危険な場所という認識も特にありません。
富裕層と貧困層の差は激しいですが、中間層と貧困層の差がそこまでまだ広がっていないためかと思います。

今回訪問した場所は、ダラ地区という場所でヤンゴンのダウンタウン最南部からフェリーに乗りヤンゴン川の対岸にある地区です。





フェリーの運賃は往復でミャンマー人は200チャット、外国人は4000チャットでした。
外国人は建物の奥の部屋まで行って支払う必要があります。が、国籍を聞かれ日本人と答えたら日本人だけ無料で乗れるということでした。
このフェリーはJICAが寄付したものだったようで、日本人は特別サービスを受けれるようです。

船に乗って10分もしないうちに対岸に到着します。ここからサイカーに乗って奥のスラムに向かいます。
以下、到着したスラムの写真です。








ここには400世帯ほどの家があり、その多くは2008年のサイクロン"ナルギス"の被害者でした。ナルギスの被害を受けた人たちが各地から集まり、いくつかのNGOがここにシェルター等のドネーションをして住み始めたようです。
ダウンタウンからわずか30分ほどの時間で到着した場所ですが、ここには電気はもちろん水道もありません。
ただ、いくつかのまだ少し余裕のある家庭がジェネレーターを持っていて18時から22時まで1日100チャットで電気を使わせてもらっている人もいました。



水は溜池の水を使いますが、沸かして飲むことはないようです。このまま飲むのは身体に良くないことは知っていつつも沸かすための薪の費用が高いことと、多くの場合そのまま飲んでも大丈夫だったという過去の経験から沸かす行為を軽視しています。

個人的にはこのスラムはエヤワディ管区や、ヤカイン州の田舎にある村とほとんど変わらない生活をしているように思います。
ですが、都心部に近いだけでスラムと呼ばれなんとなく薄汚い場所のようにも感じてしまう部分もありました。
先進国の人間が勝手にカテゴライズして先入観を持って見てしまうからでしょうか。

2016年2月12日金曜日

ミャンマーの今風結婚式

ミャンマーの結婚式に初めて参加しました。

我が家の一階に小さな雑貨屋があり、夜になると店の前におじさん達が座って小さな宴会が始まることがたまにあります。
その飲み会に混じって飲んでいたときにとあるおっちゃんに近々娘の結婚式があるということで招待してもらいました。


招待状です。結構豪華凝った作りです。金色大好きミャンマー人て感じですかね。

場所はセントラルホテルというまずまずの高級ホテル、時間は夜の18時開始で19時半までと書いています。

誘ってもらった翌日から何を着て行けばいいのか、ご祝儀のようなシステムはあるのか聞き込み開始です。

服装はミャンマーシャツにシルクのロンジーが無難だけど、スーツでもOK。
ご祝儀はお金でもモノのプレゼントでもOK。
新婚生活で使うような食器や、日用品やら、写真立てやらわりとなんでもOKだけど、新郎新婦のこと知らなければお金がいいんじゃないとのアドバイスを貰ってお金にしました。
祝儀袋みたいなものはないので、綺麗な封筒に入れました。
お金も新札じゃなくていいようです。
金額は親しくなければ1万チャット、親しければ5万チャットくらいが相場のようです。
私は新郎新婦を全く知らないので3万チャット包みました。ミャンマーチャットはだいたい10で割ったら円になるので3,000円です。

当日の18時前に結婚式場につきました。
日本と同じように受付があって、名前を言ってプレゼントを渡します。
お返し(日本で言う引き出物?)として、キーホルダーとノートをもらいました。




会場には人はまばらでまだほとんど集まってません。
一緒に行く約束をしていた家の下の雑貨屋のおばちゃんもまだ来てません。

18時半頃に招待客がわらわらと来始めて、雑貨屋のおばちゃんとも合流しました。
招待してくれた新婦のお父さんと雑貨屋のおばちゃん。


前方に新郎新婦の席があって、円卓がズラリと並んでるのは日本と同じようなレイアウトです。
新郎新婦が座る高砂の真正面は親族の席でしたが、そこ以外は自由席でどこに座ってもいいみたいです。
たぶん100人近く来てたと思います。




19時になってようやく、新郎新婦が入場しました。ウエディングドレスにタキシードで若者スタイルです。
入場時の音楽も世界中で定番のチャンチャーチャチャーンっていう曲(曲名分かりませんf^_^;))



親族全員で大行進ってのが違うくらいで、日本の結婚式とそんなに違わないです。
大きく違うなと思ったポイントは、お客さんたちが新郎新婦をあまり見てない。。。
誰も写真を撮らない。
そのぶんカメラマンが付きっ切りで新郎新婦の写真撮ってます。照明きつすぎ!

キレイにしてきた自分達の自撮りは至るところでしてますが、新郎新婦の写真は興味ないみたいです笑

ここから高速で式が進んでいきます。新郎新婦の紹介、指輪交換、親からのプレゼントやら、ケーキカットが進行されていきました。あまりにもサクサクすぎて、もう付いていけません。




ケーキカットの場面も数人しか前まで見にいかないです!

もちろん式の最中に食事も出ます。
ダンパウ(ドライカレーみたいなご飯)、スープ、アイスクリーム
お酒類はもちろんなしです。




式はサクサク進み、時間通りの30分で終わりました。

最後は新郎新婦が出口でお見送り。



時間もアッサリ、客もアッサリ。
とてもアッサリした結婚式でした!

2016年2月4日木曜日

インターンシップ開始

1月の上旬からインターンシップが始まり早くも3週間経過しました。

インターンシップ先の会社は、ミャンマーのローカルな課題と世界の技術を結びつけて解決していくことを目指したベンチャーの社会企業です。そのための一手段としてファブリケーションラボラトリー(ファブラボ)を初めてミャンマーに作ろうとしています。


ファブラボの説明をしておきますと、

 「ほぼあらゆるもの("almost anything")」をつくることを目標とした、3Dプリンタやカッティングマシンなど多様な工作機械を備えたワークショップ。世界中に存在し、市民が自由に利用できる事が特徴。「ほぼあらゆるもの」の中には、大量生産・規模の経済といった市場原理に制約され、いままでつくり出されなかったものが含まれる。ファブラボは、個人が、自らの必要性や欲求に応じて、そうした「もの」を自分(たち)自身で作り出せるようになるような社会をビジョンとして掲げており、それを「ものづくり革命 (Industrial (Re)volution:第2次産業革命)」とも呼んでいる。「ファブ」には、「Fabrication」(ものづくり)と「Fabulous」(楽しい・愉快な)の2つの単語がかけられている。
出典: wikipedia



インターンシップ先の方に、昨年末に初めてお会いしたときはもう1人のco-founderがいましたが、転職してしまったようで、founder一人で活動しています。なので、私は二人目ということになります。



この会社をインターンシップ先に決めた理由は、色々ありますが、大きく以下の点です。

・自分と正反対の社会起業家という人たちが何を考えているのか知りたかったこと。

・ミャンマー市場向けの商品を作りたいと考えてこの国に来ましたが、ミャンマーの課題はミャンマー人が一番よく分かっている。彼らにモノづくりの場所と機会を提供したいと思ったこと。

・ファブラボという空間がそれらの機会、場所になり得ると思ったこと。
(他の新興国にあるファブラボではすでにローカルの課題をローカルの人達自身で解決するプロセスができてきています。)



いざ始まってみると、まだまだ設備もなければ、場所もないし、お金もまだなく、本当にスタートを切ったところなんだということを知ったところですが、
企業が少しずつ形になっていく様を体現できるチャンスだと思って前向きに、そして初心を忘れることなくコツコツ今できる目の前のことを進めていきます。

2016年1月21日木曜日

モンク生活

間が空いてしまいましたが、モンク生活の続きです。
僧院での生活は1週間弱だけでしたが、なかなか経験できない貴重な体験でした。

冬のザガインの朝晩がセーター着ないと凍えてしまうほど寒いこと。袈裟には冬用の着方が存在すること。

これが通常のスタイル。


寒いときの長袖仕様。(左脇開けたら解ける)


朝5時から托鉢に回って、裸足で歩くので足がいてー、いてー、と言い過ぎて、一緒に托鉢に回っていた僧侶たちがみんな"いてー"という単語をマネするようになったこと。実は僧侶達もちょっと痛いけど我慢して言わないこと。






明らかに貧しそうな家の人でもスプーンひと匙分の米を寄付してくれたこと。



小坊主たちと縄跳びやサッカーで遊び尽くしたこと。


この坊主達遊んでばっかりで全然仏教の勉強してないことが分かったこと。

泊めてもらっていた僧院の周りにある無数のパゴダに嫌になるほど連れ回してくれたこと。オススメの瞑想スポットで一緒に瞑想してきたこと。


みんなでご飯を並んで食べたこと。
朝ご飯が朝8時で、昼ご飯が11時。全然お腹空かないこと。
でも無理してでも食べないと夜にめちゃくちゃお腹空くこと。

クソ寒いなか井戸水で行水するしかなかったこと。



日本のNGOのジャパンハート様が建てた病院にお邪魔したこと。そこで、日本人の僧侶(私)と日本に住んでた

ミャンマー人僧侶が日本人が経営するミャンマーの病院で出会い、カオスな状況になったこと。



夜18時からのお経の時間に座り方がなってないと叱られたこと。全く分からなかったパーリー語のお経の意味や発音を教えてもらったこと。



夜にお腹が空いたと話していたら、仲良くなった僧侶一人が毎晩台所からトマトを持ってきてくれたこと。
トマトはフルーツ扱いだから昼以降に食べてもいいということ。
そう言う割にはコソコソしながら持ってきて自分よりたくさん食べて帰って行ったこと。



毎晩若い僧侶たちと夜に瞑想スペースのブッダ像の前でトランプで遊んだこと。
ヘッドモンクに見つかりそうになってめちゃくちゃ焦ったこと。




若僧侶たちにくだらない日本語を教えてめちゃくちゃ感謝されたこと。



その日本語を使ってみたいということで出かけた外国人向けの観光地で話しかけた相手が韓国人だったこと。待てども待てども日本人が現れなかったこと。
人生初めて外国人に"一緒に写真撮ってください"と頼まれてちょっとはにかんだこと。



自分になついてくれて、ずっと手を繋いでいた小坊主が最後に泣いてくれたこと。


特別な存在で近寄り難かった僧侶達が普通の人間と言ってはいけないけれど、正直なところ普通の人間、子供たちなんだなと分かったこと。




全てのことがこのクレイジーなモンク達に感謝です。

次来たときにまだ彼らがいるかどうかは分からない一期一会だけど、絶対にまた来よう。


2016年1月11日月曜日

得度式

ミャンマーは大仏教国です。経済中心地のヤンゴンにいても、お坊さんは日常的に見かけるし、国民皆に寄付の文化も根付いています。
ミャンマー人はより良い来世のためにクドー(功徳)を積むことが一番大切なことだと考えています。そして、子供の特に男の子の出家が何物にも変えられない最高のクドーとされています。
なので、出家することは自分自身のためだけでなく、親孝行の一面もあります。
ミャンマーには一時出家という伝統もあり、四月の水かけ祭りの際に短期出家をする人もたくさんいます。


私の場合は、せっかくミャンマーに来たんだから、ミャンマー文化の体幹の仏教を一度味わってみたいという好奇心だけで、出家しました。完全にファッション坊主です。ごめんなさい。

出家をするにあたり、得度式という人間から僧侶になるための儀式があります。
まずは剃髪です。
人生初のスキンヘッド。



つづいて、ティンガン(袈裟)を纏います。なかなか着方が難しく最後まで周りの人に手伝ってもらってました。
ちなみに僧侶は全員ノーパンということをこの時初めて知りました。



そして、三拝をして、懺悔の言葉を言います。この辺りの言葉は全てパーリー語という世界中の僧侶が使う言葉なので全く分かりませんので、師僧がゆっくり言ってくれた言葉を聞こえたまま発声するだけでした。
出家する本人が自分の言葉で発しなければ、僧侶にはなれません。

懺悔の言葉を唱え、これまで蓄積されてきた汚れが落ちきったあとは戒律の言葉を唱えます。内容は、

・生き物を殺さない
・窃盗をしない
・性行為をしない
・正午以降食事をしない
・嘘をつかない
・酒ドラッグをとらない
・高い場所で寝ない
・香水や装飾品をつけない

晩御飯がないこと以外は余裕ですね。

15分くらい唱えていましたが、この間はずっとヤンキー座りです。
日本だと正座が敬意を示す座り方ですが、こちらではヤンキー座りです。
ヤンキー座りがこんなに辛いものとは知りませんでした。写真ではカカトが浮いてしまっていますが、これはダメな座り方です。後日先輩僧侶に叩かれました。



以上の儀式が終わって、人間から僧侶になりました。
Shin Sandar WaraというBuddhism name をもらいました。意味はGreat Moonです。



2016年1月10日日曜日

ザガインで出家

年末年始をザガインの僧院で過ごしてきました。

以前マンダレーに住む友人が支援する僧院を紹介してもらい、そこで出家しました。

ザガイン管区にはザガインヒルという山があり、ここに1000以上のパゴダと500近い僧院があります。ミャンマー人がザガインに行くことは出家してくるというのと同じような意味で使います。





私が行った僧院はトーチョールーという名前でして、孤児院の役割も担っています。
成人前の小僧(コーウィン)が40人ほど、成人後の僧侶(ウーズィン)が15人程度、大僧侶(ポンヂー)1人という構成です。




友人からは英語ができるボランティアがいるから不明点があれば彼女に聞くといいと言っていたのに、行ってみるとちょうど帰省中で、誰も英語をすこしも話しません。

初日は僧院の案内や、近くを散歩したり、出家前なので晩御飯を振舞ってもらったりしているうちに暗くなり、寝床の準備をしてもらいました。


寝床は瞑想用の洞穴です。
ここに固い固い木のベッドを組み立てくれてその上にブランケット一枚被せて完了です。



奥に仏像があり、時折僧院内外の僧侶がやってきて、瞑想して帰っていきます。





自分はどこでも寝れる人間なんですが、瞑想用の洞穴の中で寝泊まりしたのはさすがに初めてで、妙な興奮からなかなか寝付けない夜でした。


僧院の朝は早いです。
朝の5時15分に鐘が鳴り起き始めます。
顔を洗い、托鉢の準備が始まります。


まだ出家前の自分は托鉢の列にはもちろん入れないので、少し離れたところから歩いて追いかける形で一緒に行かせてもらいました。


僧院から町までは徒歩30分くらい。
そこから1時間近く街中を歩きまわり、また30分かけて僧院に帰ってきます。
2時間歩き回るので帰ってきたころにはもうヘトヘトです。




托鉢で貰ってきたご飯を皆で分け合います。





ちなみに私はこの時点ではまだ出家していないので、別の場所で一人で食べます。僧侶と普通の人が同じ席でご飯を食べることはありません。

2015年12月31日木曜日

2015年大晦日

ミャンマーには西暦の新年を祝う習慣がないので、大晦日の夜も特に何もなければ、元旦も普通の平日です。
ヤンゴンなどの都市部の若者は外国を真似てカウントダウンパーティーをしたりするようですが、私が今いるザガインという街では、特に何もないようです。

ミャンマー暦では西暦の4月に新年を迎えることになるので、そちらで水かけ祭りという新年のお祝いがあり、10日程度の休みになるようです。

というわけで、大晦日ですが普段の平日と何も変わらない1日でした。明日の元旦も何事もなかったかのように過ぎていくでしょう。

個人的に、2015年は人生最大級の激変の1年でした。
2月に結婚して、4月に大学時代から10年弱続けてきた研究テーマが無くなり、5月にミャンマー行きが決まり、8月から渡航、そして今ミャンマーの山の中でポンジーをしています。




改めて、今年は今までの人生の延長にないところに来てしまったなと感慨深いものがあります。
会うはずのなかった人とたくさん出会いました。2016年も同じように素敵な出会いがあることを祈ります。