2015年12月31日木曜日

2015年大晦日

ミャンマーには西暦の新年を祝う習慣がないので、大晦日の夜も特に何もなければ、元旦も普通の平日です。
ヤンゴンなどの都市部の若者は外国を真似てカウントダウンパーティーをしたりするようですが、私が今いるザガインという街では、特に何もないようです。

ミャンマー暦では西暦の4月に新年を迎えることになるので、そちらで水かけ祭りという新年のお祝いがあり、10日程度の休みになるようです。

というわけで、大晦日ですが普段の平日と何も変わらない1日でした。明日の元旦も何事もなかったかのように過ぎていくでしょう。

個人的に、2015年は人生最大級の激変の1年でした。
2月に結婚して、4月に大学時代から10年弱続けてきた研究テーマが無くなり、5月にミャンマー行きが決まり、8月から渡航、そして今ミャンマーの山の中でポンジーをしています。




改めて、今年は今までの人生の延長にないところに来てしまったなと感慨深いものがあります。
会うはずのなかった人とたくさん出会いました。2016年も同じように素敵な出会いがあることを祈ります。


2015年12月30日水曜日

バンコクでお登りさん

ミャンマー農村部からうって変わって大都会バンコクに行ってきました。

空港に着いた瞬間から、一つ国境を超えただけでここまで世界が違うものかと驚いてばかりで、完全にお登りさん状態です。



会社の同じ部署で席を並べてきたタイ人の元同期にバンコクの最新オシャレスポットのEM district というところに連れて行ってもらいました。彼は技術系の仕事から弁護士事務所に転職して、弁護士になるために大学に通いながら働いています。お互い別の世界へのチャレンジを頑張っていこうと励まし合って解散。




ヤンゴンにも大型のショッピングモールはありますが、どこか洗練されてない印象を受けます。

 ↑ヤンゴンのジャンクションスクエア



道路の舗装がちゃんとできてるので、車に乗っていてもガタガタしない。
タクシーはメーター制なので面倒な交渉がいらない。
電車の駅が町の中心にある。
町を歩いても道に穴が開いてないから下向いて歩く必要がない。
ゴミが少ないから町がきれい。
ご飯が美味しい。油っぽくない。
ネットが速い。

若い女の子も男の子も垢抜けていて、みんなオシャレ。

ミャンマー語が通じるはずもないのに、口から出てしまうカウンデー。見るもの全てがカウンデーでした!


和歌山はおろか、大阪よりも発展してるんではないかと思うこのバンコクのようにヤンゴンもなっていくんでしょうか。10年後?20年後?それ以上かかるかもしれませんが、そう考えたらワクワクします。




バンコクからミャンマー第二の都市マンダレーに帰ってきました。



ミャンマーの中では突出した大都会のはずなのに田舎くさい。
ロンジー姿のおっちゃん、タナカを塗った女の子、この田舎くささが妙に落ち着く。

バンコクのように発展して欲しいと思う一方、田舎くさい垢抜けてないところを残して欲しいとも思ってしまいます。




帰ってきてから知ったのですが、ちょうどミャンマー国内ではタイへの抗議運動が熱くなっている最中でした。

1年前にタイのリゾート地で起きた殺人事件の犯人としてミャンマー人労働者2人が逮捕され、死刑判決が下ったようです。証拠が不十分にも関わらず拷問のような取り調べをして自供させたようで、立場の弱いミャンマー人労働者に罪を着せた冤罪だと、ヤンゴンのタイ大使館前などに多くのミャンマー人が集まっていたり、国境の一部も閉鎖されていたようです。

     出典 : The Irrawaddy


ミャンマー人の多くはタイが嫌いで、タイ製の商品を買いたがらない人が多いです。タイをライバル視しているようで、50年前はミャンマーが東南アジアで一番発展していた国だということにプライドを持っています。

一方タイ人はミャンマー人を特に意識することもない生活をしています。
タイに出稼ぎに来ているミャンマー人は推定400万人超と言われているようですが、そのほとんどが3K(きつい、汚い、危険)な仕事を安い給料で働かされています。

日本と韓国の慰安婦問題が最終合意したことがこちらの新聞でも報道されていましたが、隣国との問題はどこの国もが抱える大きな課題です。

2015年12月21日月曜日

MFCG様訪問3

村の診療にお供させてもらっていると、今まで日本で学んできた"当たり前"がいかにハイレベルなものだったのか実感せずにはいられません。

手が汚れたら手を洗う。
米だけ食べていると栄養が偏って体を壊す。
子供をたくさん作ると家計が苦しくなる。


普通に考えて当たり前でしょ。と思うことが当たり前ではない場所があるんだなと実感しています。
教育を受けていないから知りませんし、親が知らないから子供にも伝わる訳もありません。

さて、今回はHealth Education(HE)にお供させてもらいました。



HEとは何かというと、衛生、栄養学、病気の予防、子作りの計画といった内容で
日本では小学校や中学校で習う家庭科や保健の授業のようなものです。





日本人なら誰しも一度は学んだことがある米は炭水化物、肉はたんぱく質、野菜はビタミンといった栄養素があることを村の人たちは知りません。
お腹が膨れればそれでOKと思っているため食事は米とンガピー(魚を発酵させたペースト状の国民的調味料)のみという人も少なくありません。

飲料水も清潔とは言えない溜池の水や井戸の水を使います。
人間も動物も同じ水を飲みます。基本的には一度沸かしてから飲むようですが、そのまま飲むこともそれなりにあるようです。

村の溜池
池から水を汲んで持って帰るお婆さん
 

栄養不足や水の問題が原因で下痢を起こして、脱水症状で亡くなる場合があるようです。
下痢で人が死ぬなんて日本では信じられませんが、ミャンマーでは実際に起きてしまっています。
栄養状態が悪いため、5歳までに死んでしまう子供が日本の18倍もいるようです。
子供が死ぬことがある意味でここでの”当たり前”になってしまっているのか、子供をたくさん作る人が多くいます。
兄弟が4人5人いるのは当たり前で、8人兄弟の村人にも合いました。
子供が増えれば増えるほど、家計が苦しくなるのはごく当たり前のように考えてしまいますが、村人はそんなことは考えません。
その結果子供一人あたりに回る栄養分が減ってしまい亡くなってしまうし、満足な教育も受けさせられない悪循環も起こっています。
計画的な子作りのために妊娠のメカニズムの教育や、妊娠防止の薬も投与します。


子供が亡くなる原因は栄養不足だけでなく、病気の場合も多くあります。
特に多いのがマラリア、デング熱です。
感染源の蚊の発生を抑制するために家周辺の水のある場所を減らすことや、蓋をすること、蚊帳を使って寝ることを教えます。



ただやっぱり、生活習慣を変えるっていうのは難しいですよね。
自分も体に悪いのは分かっていても止められないこと、ついついやってしまうことがたくさんあります。

一度教えたからと言ってすぐに理解してもらえない。
理解してもらえてもなかなか習慣を変えられないのが人間なので、
実践してもらうためには何度も繰り返し説いて行くしかない、、、


自分には到底できない仕事です!

2015年12月13日日曜日

MFCG様訪問2

MFCJさんの日常的な活動は
週2回が村へのモバイルクリニック
週1回が村への村人との会議、衛生教育
その他がミャウンミャでオフィスワークとなります。

巡回する村は12カ所あり、一つの村に少なくとも2ヶ月に1回程度は回る形になっています。



この日はモバイルクリニックに同行させてもらいました。村には、ミャウンミャの中心から車で2時間くらい走り、そこからさらに田んぼ道を30分程度歩いてやっと到着します。



診断の器具や、薬がたくさんありますが、手前の村の若い女の子達にポーターをお願いしました。彼女たちに重い荷物を持たすのは、心が痛みますが、これも立派な仕事の1つです。荷物を歩いて運んでもらって約100円の収入を得て帰っていきました。1日の収入が200円程度しかない村の人々には100円は小さなお金ではありません。



村に着くとはじめに村長さんに挨拶に行きます。医療面で特に問題なかったことを聞いたり、村の状況を教えてもらいました。今はちょうど米の収穫の時期のため、日中は人があまりいないようです。エヤワディ管区はミャンマーの米生産量の70%を占めるほど稲作で有名な場所です。村にある家の数は100件程度で、人口は忘れたけどだいたい300人くらいかなーと言って笑っていました。

続いて、診療所の設置です。
診療所をどこに設置するかは村によって違いますが、村長さんの家か、学校か、パゴダになります。
診療所のセットを始めていくと、どこからか村人がたくさん集まり協力してくれます。2ヶ月ぶりにやってきたMFCGを待ちわびてたようです。



診療は、受付、血圧測定、問診、薬の処方という流れです。
この日は季節の変わり目のため風邪の人が多くいました。
他には、高血圧や初期の糖尿病も多いようです。ミャンマーの食事は油を大量に使うことや、コーヒーや紅茶などの飲み物に砂糖が大量に入っていることが原因の一つのようです。しかし、自覚症状はなく、そもそもそういった病気の存在自体を知りません。
また、ビタミンB1不足で脚気の兆候が見られる場合も多いようで、タミンィエという米のとぎ汁を沸かしたものの教育とビタミン剤の処方を多くの人にしていました。
 

 
診療は10時から15時程度まで行います。
午前中は患者さんも多くて忙しかったものの昼からは暇な時間も多かったので、一軒一軒家を回ってモバイルクリニックが来ていることを紹介して回ります。外国人が珍しいためか、家にあがってお茶を出してくれたりフレンドリーな人ばかりです。






結局昼以降は忙しい時間もなく、ゆったりとした時間が過ぎて行きました。
もっとプロモーションに力を入れるべきでは?と聞いてみましたが、ミャンマー人ドクターは、周期的に村にクリニックが来ていることが大事で、何か病気を抱えた患者はやってくる、私たちは待つことが大事。患者が来ないのはむしろいいこと。と考えているようです。

 



広大な田んぼが広がり、水牛が水浴びしていてのどか過ぎるほどのどかな村で、時間はゆったり過ぎていきます。

2015年12月4日金曜日

MFCG様訪問1

昨日から"ミャンマーファミリークリニックと菜園の会(MFCG)"さんのもとへボランティアに来ています。


MFCGさんはエヤワディ管区のミャウンミャを拠点として無医村にモバイルクリニックとして周回をしているNPOです。

名知先生という女医の先生が代表を務めており、ミャンマー人の先生もう1人とナースエード1人、ドライバー1人の四人体制で巡回されています。

モバイルクリニックだけでなく、栄養学と自家菜園の教育もされています。
村では病気にかかる人のほとんどが栄養不足から来るもので、病気を治しても栄養が足りていないので再発します。

栄養不足はもちろん収入不足という根本的な原因がありますが、先生たちは調理の仕方(お米の炊き方など)や捨ててしまっていた栄養のある部分の再利用(米のとぎ汁など)、そして家庭菜園の教育を通して栄養不足という課題に対峙されています。

名知先生はを10年ほど日本の大学病院に勤め、その後"国境なき医師団"のメンバーとしてアジアを中心に回られて、2008年に現団体を立ち上げて現在まで活躍されています。
1人で始められて、テレビでも放送されるほどミャンマーの地方の医療に貢献されているとてもエネルギッシュな先生です。


私はミャンマーに来る直前に先生の特集をしていたテレビ『世界ナゼそこに?日本人』を日本で見て、かっこいい人がいるな、いつか会いに行ってみたいなと思っていたところ、ヤンゴンのとある会合でお会いできまして、今回の訪問を受け入れていただきました。

医療の経験はもちろんありませんが、見学にきたお客様で終わらせず、何かしらの形で貢献して帰ってきたいと思います。