2016年9月14日水曜日

地方の洗濯

前々から書こう書こうと思って書けていなかったネタの投稿です。

何ヶ月も前になってしまいましたが、一ヶ月間丸々地方の街に住んでいた時にヤンゴンとは異なるリアルなミャンマーの生活を体験しました。

一発目として、洗濯について紹介したいと思います。
ヤンゴン、マンダレー以外の地方都市では電化製品の普及率もまだまだ低いため洗濯機を持っている人なんてほとんどいないです。
基本的にブラシと洗濯板というか洗濯石を使った洗濯がまだ標準になっています。

どうせすぐに砂だらけになるのに意外と清潔、几帳面な面を持ち合わせているのがミャンマー人。

一枚一枚丁寧に洗剤を使ってブラシで擦り洗いをします。一番人気の洗剤はFUJIという日本っぽい名前のどこ製か不明な洗剤。




生地へのダメージにも意外なこだわりがあって、やわい綿生地の場合にはブラシを使わずに手洗いで汚れを落とします。




ミャンマー人は白色が好きな人が多いのですが、水が濁っていることもあり洗うほど黄ばんで行ってしまいます。
白色の服をどれだけ白くできるかがステータスの一つにもなるようです。

洗濯機を買わない理由として、一枚一枚擦り洗いをするのが標準になっているので、金銭面の理由以外にも、水と洗剤をかき回しているだけで本当にキレイになっているのか不信感を抱いている部分もあるようです。

・洗濯用水の純化
・擦り洗いと自動洗濯の間を結ぶ機械的な洗濯機能
を併せ持った洗濯機なんかがあったら意外と地方の人向けはいいのかもしれません。

洗濯が終わって干した後も意外な几帳面さがあって、アイロン大好きです。
パンツまでアイロンがけする人が多いんですが、何の意味があるのか私には全く分かりませんが、、、。

街にゴミは投げ捨てまくるのに、自分の身の回りだけはキレイにしたい、清潔にしていることで見栄を張りたい。そんなミャンマー人的な思考が洗濯、アイロンにも現れているのかもしれません。

2016年8月27日土曜日

ミャンマー生活 再出発

ヤンゴンに帰ってきて新しい仕事を始め、あっという間に一ヶ月が経過しようとしています。
ミャンマー人上司にしごかれながらもなんとか日々過ごしています。

ミャンマーで働き始めた今、思うことを残しておきたいと思います。


◆ミャンマー生活
 まず思うことは、会社生活をしていると日本人ややや富裕層のミャンマー人と出会うことが多々あっても、ごく一般のミャンマー人庶民と話すことがほ
とんどなくなったこと。

 住居も自分には勿体ないくらいのセキュリティーも設備もしっかりした場
所に住まわせてもらったこともあり、停電や虫、深夜の大合唱、早朝のお経の放送、路上の売り子の声を聞くこともなくなりミャンマーならではの不便さを全く感じなくなった。

 車も支給してもらえて、バス・電車に乗ることや町を歩く機会もほとんど
無くなってきている。
 
食事に関しても、体調を気にして路上の屋台で食べることがほとんど無く
なってきている。

 不便な生活がしたいわけではないけれども、少し寂しさを感じる。

 一般庶民の価値観を忘れないためにも、休日に意識して接点を持つように
すること。



◆ミャンマー語
 ミャンマー語で行われる会議も少なくない、一年間勉強してきたにも関わらず全然会話について行けないことが多々ある。
 
ビジネスで使う言葉をあまり勉強してこなかったことや、新しい職種、商
材ということもあり
そもそもの基本知識が足りていないことも一つの要因ですが、仕事に関する勉強と平行してビジネスシーンのミャンマー語の習得も平行して継続していかなければならない。

そこに入っていけないようであれば、自分の存在価値はない。

 ミャンマースラングやミャンマーの歌を一つでも歌えたら、関係作りに効
果的だと思うのでミャンマーで働いている外国人は一曲でも持ち歌を持つことを強くオススメします。



◆ミャンマー人
 他人のことをどうこう言える身分でもないですが、日本人がダブルチェック、トリプルチェックをしても依頼したことを守ってくれない。
 
例えば、時間が遅れることはミャンマー人同士の場合には何の問題にもな
らないことが多いため軽んじられているように思うが、これが外国人相手の場合には大きな問題になることがある
ことを分かっていない。
 
 ミャンマーの一般的な価値観・感覚も大事ですが、ベースは日本人の価値観・感覚を持って少しミャンマー人の気持ちも分かる。これくらいのバランスを保つこと。

2016年6月16日木曜日

お化け タィェッ

ミャンマー人からよく聞かれる質問の一つに、お化けは怖いか?見たことあるか?というものがあります。

お化けなんていないから怖くない、ゴキブリのほうがよっぽど怖い。といつも返しますが、ミャンマー人はお化けの存在を信じていて、大変怖がっています。夜間に一人でトイレに行くことができない人もいるくらいです。

笑ってしまいそうですが、彼らにとっては深刻です。
夜でもトイレに行けるようにするために照度高めの照明器具、ランタンを買う人もいます。


先日まで私が滞在していた、マンダレー管区の中央乾燥地帯ではミャンマーの中でもとりわけお化け、霊の存在を信じている人が多い地域と言われています。
この地域には仏教に加えて、"ナッ"と呼ばれる土着の信仰があり、ナッと呼ばれる守護神のような存在がこの地域にあるポッパ山に集まると信仰されています。



またミャンマーには空を飛んだり、巨大な岩石を持ち上げられる超能力者もいたと信じられていて、このポッパ山で修行を積んだとも言われています。

ミャンマーで知らない人がいない超能力者、大僧正ボーミンガウン↓



そういった背景もあり、この地域では守護神やら超能力やらお化けの存在を信じている人がたくさんいます。


滞在中にとあるお祭りがありました。
そのお祭りは、深夜に地域で一番大きな墓地行われていて、その日だけ死者の霊が帰ってくるので、ご飯をご馳走するというものです。

お墓の上にご飯が置かれています。




霊を連れ戻すお呪いが始まり、お墓から50mほど遠くに避難させられました。近くにいると霊が人間をあの世に連れて帰るらしいです。



お呪いが終わると、照明が全て落ちて真っ暗になり、霊がご飯を食べ終わるまでしばし待ちます。30分ほどしたら照明がつき、墓に戻るとご飯がなくなっている。といった流れでした。


帰りそびれた霊がいないか真剣に怯えるミャンマー人が可愛くてたまらない夜でした。




↓他人の墓の上に座ってくつろぐミャンマー人。それはありなの??~_~;

2016年5月21日土曜日

雨季突入 → サソリ遭遇

先日暑い暑いと書いた次の日から雨が降り始めました。一気に気温も下がってうっすら寒さを感じるくらいです。ミャンマー人はここぞとばかりにジャケットを着込んでいますが、もちろん日本人的には半袖で大丈夫な程度です。

一日中ずーっと雨で、天気予報を見ると1週間先までずっと雨。。暑さから解放されたもののこれはこれで萎えるなー。


この一気に気候が変わったせいか、昨日家の敷地内でサソリを2匹も発見しました。



毒を持っているようで、周りの人も騒いでいましたが、殺しはせずに紐で引っ掛けて少し離れた空き地に逃がしてました。殺してくれよ、、、と思いつつも殺生を好まないミャンマースタイルに関心です。

サソリは暑気は暑くて地中から出てこないけども、今のような雨季への変わり目に時期の雨が降ったあとの晴間に地上によく出てくるらしいです。

ヤンゴンにはまずいないようですが、ミャンマー中央部に特に5月に来る人は要注意!

2016年5月19日木曜日

乾燥地域の暑気

暑い、暑すぎる、、、


今の時期ミャンマーは雨季直前の暑季で一番暑い時期にあたります。さらに今ミャンマーの中でも一番暑いと言われるミャンマー中心部の乾燥地域に来ていて、溶けてしまいそうな日差しと40℃近い気温にやられてしまいそうです。さらにさらにほぼ毎日停電するのでエアコンも扇風機も使えない状況でこの地域の過酷な環境を体感しています。

この街に限らずミャンマー全土のメインの産業は農業ですが、4月5月は暑気になので水がなく何も育たないため、職がない農家がたくさんいます。村にヒアリングに行って、月あたりの給料はいくらかと尋ねても月給という考え自体が存在していないので、その質問は馬鹿げていると返されます。

ミャンマーの中でも過酷な地域に住む人が求めているものは何なのか知りたくてここに来ましたが、意外と彼らは水でもないことも、電気がないことも、慣れてしまっていて普通に生活していますが、職がないので働く機会を求めているように思います。

過酷な地域といえどもここは助け合いの国ミャンマー、栄養の偏りはありそうですが、食べるものに困って餓死するような窮地に迫られた様子は一切ありませんが、とにかくこの暑さをなんとかして欲しい、早く雨よ降ってくれ、、、( ;´Д`)

2016年4月27日水曜日

ティンジャン(水掛け祭)

ティンジャン祭も終わって、日常に帰ってきたヤンゴンです。この時期私はロイコーという小さな街のティンジャン祭に行ってきました。

◆水かけ
噂通りティンジャンの間は、ずぶ濡れになることなく外出するのは無理でした。この時期は防水パック必須です。

街のメイン通りから小さな脇道まで家の前に水をかける準備をした若者たちがたむろしていて人が通るのを今か今かと待ちわびいます。いざ一回水を掛けられてしまえば楽しくなってきますよ。



お揃いの格好をした暴走族のような若者チームがいくつもあって、競うように騒ぎあいます。


家の前でバケツや水鉄砲で水掛けをするのとは別に、ミャンマー語でマンダというステージがこの時期だけ設置されます。
ここにはホースがぶら下がっていて、上から水をかけることができます。このステージの前を若者を積んだ軽トラが水を浴びるために通っていきます。




私もマンダの上から水掛けやってみましたが、、、15分くらいで飽きました。ミャンマー人は朝から晩まで4日間通して水遊びを楽しみます。。飽きもせずによくやります。。

他には、歌手やダンサーがいて生演奏で盛り上がっている大きなマンダがあったり、子供からお年寄りまで誰でも乱入できるカラオケ会場になっている小さなマンダもあったりします。

この水掛けに使う大量の水はどこからやってくるかというと、ステージ裏の池からポンプで汲み上げています。


普段ゴミがポイポイ投げ捨てられている池なのでキレイなはずはありません。中耳炎や結膜炎になる人も毎年いるようです。


◆ティンジャンの伝統の食事
日本でいうお節料理のような、ティンジャンの時期に食べるお菓子があります。

1つはモンロンィエポーという名前で、直訳したら水に浮いた丸いお菓子という意味です。


米粉の生地で椰子砂糖を包んで球体にしたものを茹でて、始めは沈んでるんですが茹で上がったら浮いてきます。これを回収してココナッツの実を振りかけたお菓子です。
イタズラで砂糖の代わりに唐辛子を入れたりします。ラッキードロー大好きなミャンマー人っぽい。

味は中に砂糖の塊が入った餅という感じですが、あまり美味しくはなかったかな。。


2つめがシュエインエイというお菓子で、金の胸を冷やすという意味です。何のことかよく分からないですけど、ここに含まれてるタピオカやゼリー、ココナッツミルクが体を冷やす効果があるみたいです。


ココナッツミルクにパンが入っていて驚きましたが、パンがふやけてそこから出てきた塩気とミルクの甘みが絶妙なハーモニーを奏でます。

以上、田舎町ロイコーのティンジャンの様子でした。

2016年4月10日日曜日

新年の水掛け祭りが近づいてきました

ミャンマーの新年のお祭りティンジャンの時期になりました。

色々なお店でティンジャンセールが始まっています。

ミャンマーでは唯一の大型連休で、9日から20日まで休みです。特に今年は閏年なので例年より1日長いようです。

ティンジャンは別名水掛け祭りと呼ばれていて、13日から16日までは街中の至る場所で水を掛け合います。
一応掛けていい時間が決まっていて、朝の7時から11時まで、そこから休憩時間となり、夕方4時から夜7時まで水掛けを再開します。

このティンジャンの間は出かけたら濡れずに帰ってくることはできないようで、町を歩いているだけで、色んな人から水を掛けられまくります。氷水を掛けてくる悪ガキもいるみたいで、かなりビビってます。
携帯電話、電子機器を守るための防水パックの販売が目立つようになってきました。

野外ライブで使うような特設ステージがヤンゴン市内の色んなところに設置されていて、ここでは消火用のぶっといホースを使って水をかけるようです。水圧激しすぎて転倒する人、耳に入って中耳炎になる人なんかもいるみたいです。

日本人としては水を掛けられることに抵抗を感じてしまうんですが、せっかくなので楽しんできます。
このタイミングでロイコーという場所にも行ってくるので、田舎と都会の水掛け祭りの違いにも注目してきます。


それでは、良いお年を〜〜

2016年3月3日木曜日

ヤンゴンのスラム地区

インターン先の調査でヤンゴンのスラムに行ってきました。
ミャンマーは他の東南アジアの国と比べて、明確にスラム街は少なく、全体的にまだまだ発展していないので明確な線引きも曖昧なように思います。
また治安の面でも安全とは言えませんが、危険な場所という認識も特にありません。
富裕層と貧困層の差は激しいですが、中間層と貧困層の差がそこまでまだ広がっていないためかと思います。

今回訪問した場所は、ダラ地区という場所でヤンゴンのダウンタウン最南部からフェリーに乗りヤンゴン川の対岸にある地区です。





フェリーの運賃は往復でミャンマー人は200チャット、外国人は4000チャットでした。
外国人は建物の奥の部屋まで行って支払う必要があります。が、国籍を聞かれ日本人と答えたら日本人だけ無料で乗れるということでした。
このフェリーはJICAが寄付したものだったようで、日本人は特別サービスを受けれるようです。

船に乗って10分もしないうちに対岸に到着します。ここからサイカーに乗って奥のスラムに向かいます。
以下、到着したスラムの写真です。








ここには400世帯ほどの家があり、その多くは2008年のサイクロン"ナルギス"の被害者でした。ナルギスの被害を受けた人たちが各地から集まり、いくつかのNGOがここにシェルター等のドネーションをして住み始めたようです。
ダウンタウンからわずか30分ほどの時間で到着した場所ですが、ここには電気はもちろん水道もありません。
ただ、いくつかのまだ少し余裕のある家庭がジェネレーターを持っていて18時から22時まで1日100チャットで電気を使わせてもらっている人もいました。



水は溜池の水を使いますが、沸かして飲むことはないようです。このまま飲むのは身体に良くないことは知っていつつも沸かすための薪の費用が高いことと、多くの場合そのまま飲んでも大丈夫だったという過去の経験から沸かす行為を軽視しています。

個人的にはこのスラムはエヤワディ管区や、ヤカイン州の田舎にある村とほとんど変わらない生活をしているように思います。
ですが、都心部に近いだけでスラムと呼ばれなんとなく薄汚い場所のようにも感じてしまう部分もありました。
先進国の人間が勝手にカテゴライズして先入観を持って見てしまうからでしょうか。

2016年2月12日金曜日

ミャンマーの今風結婚式

ミャンマーの結婚式に初めて参加しました。

我が家の一階に小さな雑貨屋があり、夜になると店の前におじさん達が座って小さな宴会が始まることがたまにあります。
その飲み会に混じって飲んでいたときにとあるおっちゃんに近々娘の結婚式があるということで招待してもらいました。


招待状です。結構豪華凝った作りです。金色大好きミャンマー人て感じですかね。

場所はセントラルホテルというまずまずの高級ホテル、時間は夜の18時開始で19時半までと書いています。

誘ってもらった翌日から何を着て行けばいいのか、ご祝儀のようなシステムはあるのか聞き込み開始です。

服装はミャンマーシャツにシルクのロンジーが無難だけど、スーツでもOK。
ご祝儀はお金でもモノのプレゼントでもOK。
新婚生活で使うような食器や、日用品やら、写真立てやらわりとなんでもOKだけど、新郎新婦のこと知らなければお金がいいんじゃないとのアドバイスを貰ってお金にしました。
祝儀袋みたいなものはないので、綺麗な封筒に入れました。
お金も新札じゃなくていいようです。
金額は親しくなければ1万チャット、親しければ5万チャットくらいが相場のようです。
私は新郎新婦を全く知らないので3万チャット包みました。ミャンマーチャットはだいたい10で割ったら円になるので3,000円です。

当日の18時前に結婚式場につきました。
日本と同じように受付があって、名前を言ってプレゼントを渡します。
お返し(日本で言う引き出物?)として、キーホルダーとノートをもらいました。




会場には人はまばらでまだほとんど集まってません。
一緒に行く約束をしていた家の下の雑貨屋のおばちゃんもまだ来てません。

18時半頃に招待客がわらわらと来始めて、雑貨屋のおばちゃんとも合流しました。
招待してくれた新婦のお父さんと雑貨屋のおばちゃん。


前方に新郎新婦の席があって、円卓がズラリと並んでるのは日本と同じようなレイアウトです。
新郎新婦が座る高砂の真正面は親族の席でしたが、そこ以外は自由席でどこに座ってもいいみたいです。
たぶん100人近く来てたと思います。




19時になってようやく、新郎新婦が入場しました。ウエディングドレスにタキシードで若者スタイルです。
入場時の音楽も世界中で定番のチャンチャーチャチャーンっていう曲(曲名分かりませんf^_^;))



親族全員で大行進ってのが違うくらいで、日本の結婚式とそんなに違わないです。
大きく違うなと思ったポイントは、お客さんたちが新郎新婦をあまり見てない。。。
誰も写真を撮らない。
そのぶんカメラマンが付きっ切りで新郎新婦の写真撮ってます。照明きつすぎ!

キレイにしてきた自分達の自撮りは至るところでしてますが、新郎新婦の写真は興味ないみたいです笑

ここから高速で式が進んでいきます。新郎新婦の紹介、指輪交換、親からのプレゼントやら、ケーキカットが進行されていきました。あまりにもサクサクすぎて、もう付いていけません。




ケーキカットの場面も数人しか前まで見にいかないです!

もちろん式の最中に食事も出ます。
ダンパウ(ドライカレーみたいなご飯)、スープ、アイスクリーム
お酒類はもちろんなしです。




式はサクサク進み、時間通りの30分で終わりました。

最後は新郎新婦が出口でお見送り。



時間もアッサリ、客もアッサリ。
とてもアッサリした結婚式でした!

2016年2月4日木曜日

インターンシップ開始

1月の上旬からインターンシップが始まり早くも3週間経過しました。

インターンシップ先の会社は、ミャンマーのローカルな課題と世界の技術を結びつけて解決していくことを目指したベンチャーの社会企業です。そのための一手段としてファブリケーションラボラトリー(ファブラボ)を初めてミャンマーに作ろうとしています。


ファブラボの説明をしておきますと、

 「ほぼあらゆるもの("almost anything")」をつくることを目標とした、3Dプリンタやカッティングマシンなど多様な工作機械を備えたワークショップ。世界中に存在し、市民が自由に利用できる事が特徴。「ほぼあらゆるもの」の中には、大量生産・規模の経済といった市場原理に制約され、いままでつくり出されなかったものが含まれる。ファブラボは、個人が、自らの必要性や欲求に応じて、そうした「もの」を自分(たち)自身で作り出せるようになるような社会をビジョンとして掲げており、それを「ものづくり革命 (Industrial (Re)volution:第2次産業革命)」とも呼んでいる。「ファブ」には、「Fabrication」(ものづくり)と「Fabulous」(楽しい・愉快な)の2つの単語がかけられている。
出典: wikipedia



インターンシップ先の方に、昨年末に初めてお会いしたときはもう1人のco-founderがいましたが、転職してしまったようで、founder一人で活動しています。なので、私は二人目ということになります。



この会社をインターンシップ先に決めた理由は、色々ありますが、大きく以下の点です。

・自分と正反対の社会起業家という人たちが何を考えているのか知りたかったこと。

・ミャンマー市場向けの商品を作りたいと考えてこの国に来ましたが、ミャンマーの課題はミャンマー人が一番よく分かっている。彼らにモノづくりの場所と機会を提供したいと思ったこと。

・ファブラボという空間がそれらの機会、場所になり得ると思ったこと。
(他の新興国にあるファブラボではすでにローカルの課題をローカルの人達自身で解決するプロセスができてきています。)



いざ始まってみると、まだまだ設備もなければ、場所もないし、お金もまだなく、本当にスタートを切ったところなんだということを知ったところですが、
企業が少しずつ形になっていく様を体現できるチャンスだと思って前向きに、そして初心を忘れることなくコツコツ今できる目の前のことを進めていきます。

2016年1月21日木曜日

モンク生活

間が空いてしまいましたが、モンク生活の続きです。
僧院での生活は1週間弱だけでしたが、なかなか経験できない貴重な体験でした。

冬のザガインの朝晩がセーター着ないと凍えてしまうほど寒いこと。袈裟には冬用の着方が存在すること。

これが通常のスタイル。


寒いときの長袖仕様。(左脇開けたら解ける)


朝5時から托鉢に回って、裸足で歩くので足がいてー、いてー、と言い過ぎて、一緒に托鉢に回っていた僧侶たちがみんな"いてー"という単語をマネするようになったこと。実は僧侶達もちょっと痛いけど我慢して言わないこと。






明らかに貧しそうな家の人でもスプーンひと匙分の米を寄付してくれたこと。



小坊主たちと縄跳びやサッカーで遊び尽くしたこと。


この坊主達遊んでばっかりで全然仏教の勉強してないことが分かったこと。

泊めてもらっていた僧院の周りにある無数のパゴダに嫌になるほど連れ回してくれたこと。オススメの瞑想スポットで一緒に瞑想してきたこと。


みんなでご飯を並んで食べたこと。
朝ご飯が朝8時で、昼ご飯が11時。全然お腹空かないこと。
でも無理してでも食べないと夜にめちゃくちゃお腹空くこと。

クソ寒いなか井戸水で行水するしかなかったこと。



日本のNGOのジャパンハート様が建てた病院にお邪魔したこと。そこで、日本人の僧侶(私)と日本に住んでた

ミャンマー人僧侶が日本人が経営するミャンマーの病院で出会い、カオスな状況になったこと。



夜18時からのお経の時間に座り方がなってないと叱られたこと。全く分からなかったパーリー語のお経の意味や発音を教えてもらったこと。



夜にお腹が空いたと話していたら、仲良くなった僧侶一人が毎晩台所からトマトを持ってきてくれたこと。
トマトはフルーツ扱いだから昼以降に食べてもいいということ。
そう言う割にはコソコソしながら持ってきて自分よりたくさん食べて帰って行ったこと。



毎晩若い僧侶たちと夜に瞑想スペースのブッダ像の前でトランプで遊んだこと。
ヘッドモンクに見つかりそうになってめちゃくちゃ焦ったこと。




若僧侶たちにくだらない日本語を教えてめちゃくちゃ感謝されたこと。



その日本語を使ってみたいということで出かけた外国人向けの観光地で話しかけた相手が韓国人だったこと。待てども待てども日本人が現れなかったこと。
人生初めて外国人に"一緒に写真撮ってください"と頼まれてちょっとはにかんだこと。



自分になついてくれて、ずっと手を繋いでいた小坊主が最後に泣いてくれたこと。


特別な存在で近寄り難かった僧侶達が普通の人間と言ってはいけないけれど、正直なところ普通の人間、子供たちなんだなと分かったこと。




全てのことがこのクレイジーなモンク達に感謝です。

次来たときにまだ彼らがいるかどうかは分からない一期一会だけど、絶対にまた来よう。